森本哲郎著『私のニジェール探検行』を読んで。

ニジェールには、ニジェール川という大河が流れています。

西アフリカのギニアの山地から、北東に流れてマリ共和国に入り、南東に転じて、
ニジェールを北から南へ500kmにわたって貫き、ナイジェリアのギニア湾に注いでいます。


砂漠に大河、というのも不思議な気がしますが、
サハラ砂漠は、もともとは「緑のサハラ」と呼ばれた時代もあったそうで、
紀元前2000年頃からすこしずつ砂漠化が進んでからは、
オアシス的な存在となっているのだそうです。



ニジェール川は、内陸部を流れているため、ヨーロッパの人々も、長くその存在を知りませんでした。 


今から約200年前にヨーロッパ人で最初にニジェール川の探検についたのは
マンゴ・パークというイギリス人です。

そのマンゴ・パークの足跡をたどったのが、ここにご紹介する、1982年刊行の 


 

森本哲郎著 『私のニジェール探検行』です。


きわめて単純なことでさえ、砂漠は人間に深い感動を与える。

たとえば自分の足跡だ。砂漠を歩くと、そこに足跡がつく。(中略)

その足跡が、ふりむくと、もうかき消されてしまっている。かすかな風でも砂はとび、

たちまちにすべての痕跡を埋めてしまうのだ。(中略)

私は自分に感動した。なぜなら、消されても消されても、私はなお歩き続けているからだ。


砂漠は、何かを得に行くところではない。
砂漠は余計なものを捨てに行くところなのだ。

砂漠はどんな人間にも、無言のうちに何かしら生きることの意味を教えてくれる。

あまりにも余分なものに囲まれ、あまりにも余分なものの中に埋没して、

私がつい忘れている「生きる」ことの意味を。(中略)

文明の仮装をはぎ取ってみると、

一個の人間はなんと卑小で、みじめで、それだけに、

なんといじらしい存在であることか、私はつくづくそう思い知るのである。


だがー砂漠は、あてもなしにさまようところではない。

そんなことをしたら、たちまち死の餌食になってしまう。砂漠は死と闘う場所なのだ。

砂漠へ足を踏み入れる人間は、何よりも目標を持たねばならない。(中略)

私の場合、それは、いつもサハラの果てに流れるニジェール川だった。


                 ※中公新書 『私のニジェール探検行』P4、21~24より抜粋


そのニジェール川で12月1日月曜日に、カバがボートを襲撃し、
少なくとも2人が死亡、生徒11人が行方不明になった。というニュースが飛び込んできました。
乗っていたのは、ほとんどが子供だったそうで、子供たちは学校へ行くために
毎日ボートを利用していたとのことです。


砂漠の真ん中にある国“ニジェール”で、まさかのカバのニュースに驚いています。
行方不明の子供たちが、どうか全員、無事に助かりますように。

 



あしたは、「ニジェール物語製作委員会」の3回目のミーティングです。